日本人にとって常夏のバケーション地といえばもちろん「ハワイ」ですが、実は世界にはさまざまなバケーションアイランドが存在します。
今回はその中でも、フランス領の天国に最も近いと言われている島「マルティニーク島」について紹介していこうと思います!
この記事では、マルティニーク島の観光スポットの見どころ、魅力、だけではなくいわゆるダークスポット、負の歴史などの”光と影”両方にスポットライトを当てて書いてきます。
いいことばかりではなく、観光地の本当の歴史などにも注目しながら記事を読み進めてください。
カリブ海に浮かぶマルティニーク島とは

まずは、マルチニーク島とはどんな島なのか、プロフィールを紹介しておきます。
マルティニークはカリブ海に浮かぶ一つの島です。
周辺にはドミニカ共和国やハイチ、キューバなどの国々があります。
- 名前:Martinique(マルティニーク)
- 面積:1,128㎢(琵琶湖の約1.7倍の広さ)
- 人口:37.6万人(2023年時点での岡山市や宮崎市の人口はこの数値に近い)
- 首都:フォール・ド・フランス
- 言語:フランス語、クレオール語
- 宗教:カトリック教
- 気候:年間を通して25~35度程度の常夏の島
かの有名なコロンブスが「世界で最も美しい場所」呼んだことでも知られています。
マルティニーク島の語源は、島に住んでいたカリブ人の言葉で「マディニーナ(Madinina、花の島)」、または「マティニーノ(Matinino、女の島)」からきているそうです。
とにかく美しい大自然と景色。旅好きなら一度は訪れたい場所です。
マルティニークまでの飛行機

そんな魅力的なマルティニークですが、日本とは地球の裏側に位置するだけにかなり長い旅を覚悟しておいた方がよさそうです。
日本からの直行便はなく、フランスのパリ経由で乗り換えが必要になります。
筆者が2023年に訪れた際は、片道35時間ほど(乗り換え込み)かかりました。
ただ、そこまでの時間とお金をかけてでも行く価値は十分にあります。
マルティニークの見どころ・魅力


マルティニーク島は、自然の豊かさと美しい海に囲まれた、まさにこの世の楽園と称される島です。
色とりどりの鳥たちが奏でる美しい囀り、広大なバナナ農園の緑豊かな景色、そして限りなく透明に広がる青い海が特徴です。
ビーチのヤシの木の下でのんびりとした時間を過ごすことは、訪れる人々にとって最高の体験となるでしょう。
マルティニークの生き物

ビーチの横を散歩しているとニワトリが自由に歩きまわっていたり、猫が漁師の魚を狙っていたり、牛や山羊が空き地で飼われている、など日本ではあまり目にしない風景が日常的に見ることができました。
また、ビーチで水泳した後に車の方に帰ろうとしたところ、イグアナとバッタリ遭遇するなども日常的にありました。

野生のイグアナを初めてみた筆者は、驚きのあまりその場からしばらく動けませんでした。(しっかり写真には収めました)

他にも、見たことのないトカゲやイモリなどを野生で発見することができ、かなりテンションが上がりました。
マルティニークの植物

植物園では、日本では見たこともないような植物をたくさん見ることができました。


南国の植物によく見られる特徴ある植物は基本的に葉っぱが広く太陽をたっぷり吸収できる作りになっているようです。

植物の花や実は原色のように真っ赤であったり、真っ黄色であったり強い色が特徴的でした。日本の桜のような淡い色の花はないようでした。
マルティニークの主要産業バナナ

また、マルティニークの主な産業であるバナナとサトウキビ畑は車で走れば至る所で発見することができました。
バナナ農園の土地は広大で、車で走ってても「どこまで続くの?」と不安になる程広い土地でバナナを育てていました。

民家の庭先でもバナナの木を発見しましたので、思わず写真を撮ると、通りがかりの人にバナナを見たことがないのか?と不思議そうに聞かれました。
日本のスーパーでバナナは買えますが、木についているバナナを見る機会はあまりないですよね。
マルティニーク島の歴史:長く続いた奴隷制度

そんな魅力たっぷりのマルティニークですが、それほど遠くない過去に残酷な歴史がありました。
過去、マルティニーク島は数百年にわたる奴隷制度の影を背負っていました。
マルティニーク島は1635年にフランス人によって植民地化され、当時の島民はフランス人入植者によって1人残らず虐殺されました。
その後、先住民のいなくなった島でフランス人だけでは農業できないため、サトウキビプランテーション経済のために黒人奴隷などが輸入されました。
アフリカから強制的に連れてこられた奴隷たちは、厳しい労働条件のもとでサトウキビ、コーヒー、カカオのプランテーションで働かされました。
アフリカやインドから船に詰め込まれた奴隷たちは、この島で過酷なプランテーション農業に従事させられました。
終わらない地獄
奴隷たちは過酷な労働、虐待、健康状態の悪化、そして人間としての尊厳を剥奪されるなど、非人間的な扱いを受けました。
奴隷たちの反乱はしばしば発生しましたが、これらは残忍な見せしめなどにより鎮圧されました。
フランス革命の影響を受け、1794年に一度フランスで奴隷制が廃止されました。
しかし、その8年後の1802年にはナポレオン・ボナパルトによって再び奴隷制が復活しました。
最終的に、フランスでは1848年に二度目の奴隷制度廃止が宣言され、マルティニーク島の奴隷も解放されました。
マルティニークで現在も続く格差問題
奴隷を輸入し、富を築いた白人の家族、いわゆるベケは、奴隷制によって得た土地、財産、権力を背景に、今もなお豊かな生活を続けています。
しかし、その一方で、マルティニーク島の多くの住民は、高い関税によって物価が高騰し、貧困から抜け出せない状況にあります。島の人口の約3分の1が今もなお貧困ライン以下で暮らしているとも言われています。
解放された奴隷の子孫は、今日のマルティニーク社会の大部分を形成しており、島の文化にアフリカの影響を強く反映しています。
マルティニーク島の奴隷制度は、その残酷な歴史を通じて、今日の島の社会構造、文化、アイデンティティに深い影響を与えています。
歴史を風化させないために絵本を残した
マルティニークの書店などには歴史を風化させないためにも、奴隷制の本が多数残されています。
特に目についたのは、絵本にも歴史の本が多いことでした。


絵本を通じて奴隷制度のような重い歴史的事実を伝えることは、非常に重要な教育的取り組みだと感じました。
子どもたちに適切な形で歴史を教えることで、彼らが公正な社会の構築者となるための基礎を築くことに繋がります。

絵本の中には、当時の情報が詳細に記載されていました。
左上の絵は船にどのようにして人々が詰め込まれ、劣悪な環境で運ばれていたのかが詳細に記されています。

こちらのページには脱走した奴隷たちが酷い拷問を強いられた様子が描かれています。
実はみんな同じ祖先を持っている

絵本の最後には筆者 Ti Gilbéさんの願いが描かれています。
右ページに描かれているツリーの絵では、奴隷時代の先祖が木の根の部分になっており、そこから派生した木の枝、葉っぱの部分に現在の子孫たちが描かれています。
彼が伝えようとしていることは、マルティニークの文化や人々は、異なる文化と民族の「ミックス」から成り立っているという理解を深めることで、我々はこの地域のアイデンティティをより深く認識することが必要。
白と黒で差別できるはずがない

さらに、この「モザイク」のような存在を受け入れ、理解することにより、あらゆる形態の人種差別がそもそもあるはずのない現実であることを伝えようとしています。
今現在生きているマルティニーク人のほとんどが、白人や黒人、アジア人のミックスから形成された民族であり、お互いに差別などできるはずは無いと主張しています。
Ti Gilbéさんの取り組みは、教育と文化の保存を通じて、人々が自らの歴史とアイデンティティについての理解を深め、より公正で平和な社会への理解を促進することを目指しています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
この記事では、フランス領マルティニーク島の見どころや魅力、奴隷制度の歴史について調べてきました。
トロピカルな南国の素晴らしい観光スポットとして訪れたい島ですが、行く前にはその島の歴史や文化、風習などにも興味を持つといいですね。
残酷な歴史の上に新しい人々の努力で今日の魅力的な島が成り立っているのです。
是非一度訪れてみて下さい!
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